インタビュー

ぶどう農家を営む移住者

伊沢さん

3年半前に東京から移住し、現在立科町でワインブドウ畑を営む伊沢さんは、農家とは全く別の世界からやってきた移住者だった。ご縁やインスピレーションだけでなく、日本中を分析して辿り着いた立科町での生活を伺ってみました。

まずは、移住前のご職業をお伺いしてもよいですか?

東京では二十数年証券会社に勤めていました。その後、農林水産省傘下の六次産業ファンドの立ち上げに関わったりと、忙しい日々を過ごしていました。妻は今でも東京で仕事をしており、そちらにも家があります。現在単身赴任中ですね。

それが今はワインブドウ農家とは。ギャップのある転身ですね。

それがそうでも無いんですよ。会社員時代も農業関係の企画などの融資に関する調査などをやっていて、ファンドでもワイナリーの調査をしました。全く門外漢というわけではなかったですね。東京にいた時も、盆栽や胡蝶蘭は育てていました。

長年の夢ではあったんですね?

お酒が好きで(笑)。というのは半分冗談ですが。先ほど少し話したように、農林水産省傘下の六次産業ファンドの立ち上げに参加していた際、ファンドでワイナリーの調査をしていたんですよ。全国のワイナリーにヒアリングしに行きました。北海道や山梨県、それこそ長野県などに。その際にワインブドウ農家もいいな、と興味が湧きました。丁度その頃、立科町でワイン用のぶどうの試験栽培を始めようとしてた時期だったんです。そして、立科町のワイナリー経営者募集の要項を見つけたんです。これだ! と思いました。全国を周って、長野県、特に立科町の気候風土は調査していましたし、東御市にワインブドウ農家養成学校が出来た事も知っていました。というか、ファンドの際に私が担当していたのですが(笑)。ただ一つだけ問題がありました。当時、私は50歳だったのですが、募集条件が40歳までだったんです。しかし、これで諦めるのも残念だと思い、ダメ元で立科町に連絡を取ったら、これが募集枠を超えて採用してくれたんです。

綿密な下調べと一歩踏み出す勇気の結果だったのですね。

立科町の寛容さに感謝しています。

立科町での生活はどのようなものですか?

これはもう、どっぷりとブドウ栽培。1.6ヘクタールの広さいっぱいにブドウ畑があって、その手入れで手一杯です。ブドウの実は二年目で初めてつくんです。三年目で樹の半分くらい。ちゃんとした実がなるまでには4年から5年かかります。なので、今はワインとして出荷できるブドウを作るための下ごしらえ中という所でしょうか。夜など、少しでも時間が空いた時は、醸造の勉強もしています。酒販免許なども取らないといけませんしね。挑戦と勉強の日々です。冬の間は酒蔵で働かせてもらっています。

お忙しい日々ですね。

ええ、疲れます。疲れすぎて、ヤギを2頭飼ってしまいました(笑)。今はヤギに癒されています。といってもペットではなくて、畑に鹿が出て、荒らしていくんですよ。ヤギを飼うと、鹿が近づかないと聞いて、番犬代わりに畑を守ってもらっています。あとは、いつかヤギのチーズも作ってみたいと思っています。ワインにとても合うんです。

立科町の印象はどうですか?

やりたいことができています。私は「何かを探しに」でなく「ワインブドウを作りに」立科町へ移住しました。それが全力でできるのはうれしいですね。日常では、こんなに食材がおいしいとは思いませんでした。本当に全てがおいしい。水と空気がおいしいからなんでしょうね。

困った事はありましたか?

一番最初に住んだ家が、本当に寒くて。今引っ越した所はだいぶマシになりましたが、それでも気を抜くと風邪を引きます。築100年以上の古民家なので、趣があって良いのですが、冬の寒さには少しまいります。

最後に、移住を考えている方へ立科町のお薦めなどあれば。

まずは景色を見てください。私の好きな場所は女神湖、白樺湖、霧ヶ峰などですが、どれも素晴らしい。田園地帯もすごく景色が良い。それに食べ物がおいしい。もし移住された際は、小さくても良いので畑で何か作ると良いかもしれません。クラインガルテン(農業体験や農村生活用の滞在型市民農園)のような場所があるのでそこも活用していただくと生活しやすいですね。