インタビュー
何かがはじまる、わくわくする町に
二川 透さん
- 移住年
- 1999年
- 家族構成
- 妻、犬、猫、ヤギ2頭
- 年代
- 50代
- 出身
- 北海道室蘭市
- 職業
- カフェ経営
2020年9月、立科町の中心部である中山道芦田宿のもの静かな通りに「はじまるカフェ」がオープンしました。この店を営む二川さんは1999年に千葉県から立科町へ移住し、福祉施設の調理員として約10年間勤めたのちに独立を決意。旬な野菜を中心とした彩り豊かなランチプレートやカレーを低価格で提供し、地元だけでなく県外からも足を運ぶファンがいます。その温かいお人柄でもお客様を惹きつける二川さんへお話を伺いました。
「そうか、会社を辞めればいいんだ」
ここへ移住することになった経緯を教えてください
以前は東京に本社があり、川崎に主力工場のあるステンレスメーカーで経理や工程管理などの業務を担当していました。サラリーマンをしながら本を読んだり講演を聞いたりすると、これらから時代は大きく変わっていくという情報が溢れていて、それに比べて同じ人と顔を合わせて仕事をする自分の毎日はつまらないし、この先の将来もずっとつまらなそうだなと思っていました。そんなときにある日突然「あ、そうか。会社を辞めればいいんだ」と気づいたんです。
それで会社員を辞めて、飲食店はどうかとも考えたのですが、当時EM農法(人体に有用な微生物を発酵させて肥料や活性液として利用して栽培する農法)が話題を集めていたこともあって有機農業をやろうと決めました。
千葉県富里市の有機農家で二年弱住み込んで研修し、まったくひょんな縁で立科町のお一人の方と知り合いになり、その方に家や畑を探してもらって、それまで聞いたこともなかった立科町に移住することになりました。
私は移住して長いですが、当時から立科町は移住者を温かく迎える雰囲気がありました。今では移住者は珍しくなくなっているので、その傾向はさらに強まっていると思います。当初は農業という職業を選んだこともあって経済的には苦労が絶えませんでしたが、周囲のみなさんがいろいろお手伝いや手助けをしてくださいました。私も地区の役員や消防団や地域の活動に積極的に参加したので、それも良かったと思います。
55歳で大好きな接客と料理の道へ
お店をはじめたきっかけを教えてください
若い頃は考えたこともなかったのですが、私は接客とお料理が一番好きなんだということに段々気づいてきたんです。若いときは人と接することが苦手だったのですが、立科町に移住して女性の友達や世代の違う方々とコミュニケーションを取るようになって、変わってきましたね。自分がカフェの親父になっているなんて想像もしていませんでしたからね(笑)
移住して数年が経ち、2005年頃から急に料理の魅力に目覚めて独学を始め、それを機に2008年から約10年間、福祉施設の調理員として働きました。いつか自分らしい飲食店を開けたらなと思ってはいたのですが、なにせ安い給料だったので貯金もなく、次の10年もきっとこのままじゃないかと思ったら無性になんとかしたくなってしまい、55歳の誕生日に勤めを辞めることに決めました。妻はもちろん賛成はしませんでしたが、強く反対もしなかったのでありがたかったですね。それからお店の物件が決まるまで3年かかりましたが、素晴らしい場所にめぐり会えてとても感謝しています。
みなさまの援助でできたお店
開業資金はどのように準備されたのですか?
当時、自己資金はまるでありませんでした。県の補助金を申請したり、金融機関に経営計画を持ち込んで融資をお願いしてもうまくいかなかったので、クラウドファンディングにチャレンジすることにしました。いろいろと不安はあったのですが、これをがんばるしか方法がなかったんです。さらに、民間の専用サイトに載せると手数料がかかる上に入金まで時間がかかるので、自分で無料ホームページ制作ツールを利用してサイトを作り、SNSで告知するというオリジナルのやり方を取りました。
広く告知するだけではなかなか資金は集まらず、やはり一人ひとりに直接手紙やメールでお願いすることが大事ということがわかりました。最終的には180万円近いご支援をいただいたことで金融機関からも融資を受けることができ、開業に至りました。
この店は私が自分のお金で作った店ではなく、みなさまのご支援でできたお店です。YouTubeで失敗談も含めて定期的に情報発信するのも、ご支援いただいたみなさまへ報告する義務があると思っているからです。普通は営業しながらお金を返済していくものなのに、返さなくていいお金なんです。普通にしていられないですよね。
人生は素晴らしい。はじまるカフェ。
お店に込めた想いを聞かせてください
私は、いい町には必ずいいカフェがあると思っています。町に一つコミュニケーションの核になるカフェがあると、そこで新しい動きが始まって町も変わっていくと思うんです。売上も大切ですが、たとえば4人のお客さんで2万円稼ぐカフェより、30人のお客さんで2万円稼ぐカフェの方がたくさんの関わりが生まれてコミュニケーションの要になることができます。この店を通じて立科町をわくわくする楽しい町に変えていきたいですね。
カフェの二階にはお座敷二間があるのですが、そこを無料で開放していろいろな活動や交流に役立ててもらおうとしています。団体さんの集会や議員さんの打ち合わせ、子ども向けの教室など様々にご利用いただいています。その方々が後日コーヒーを飲みに来てくれたり、ご家族でご飯を食べに来てくれるのはとても嬉しいことです。
店の向かい側には、ふるさと交流館「芦田宿」という町の核になりつつある交流の場があるので、この公的施設に対してこのお店は民間の立場として補い合える関係になれたらいいなと思います。
これまで大変な思いをして物件探しや資金集めをして、これからも軌道に乗るまでは大変なのでしょうけれど、ここがどんどん良いお店になって町の姿も変わっていくところを、きっとみなさんと一緒に見ることができると思っています。このお店から私の新しい人生が始まってほしいし、お客様にも新しい何かが始まったら嬉しいですね。
自分が冒険の主人公になれるんです
最後に読者へのメッセージをお願いします
私は単なる偶然でこの町に来たようなものなのに、住んでみるとどんどんこの町が好きになりました。町の大きさもちょうどいいと思います。行政や議員さんとの距離感もちょうど良くて、何かを始めることで生まれる波紋などは大きな都会では味わえません。小さな町は小さな工夫でどんどん良くなっていくように思います。たくさんの人がこの町を良くしようと知恵を絞ったり動き回ったりしているので、この町の未来が本当に楽しみです。
立科町に限らず田舎への移住を成功させるたった一つのコツは、地域の行事や活動に積極的に参加し、恐れずに地域の中に入っていくことです。人口減少でお祭りやイベント、地区の維持が年々難しくなっているので、そこに現れる助っ人はどこでも大歓迎されるでしょう。
インターネットや物流、交通の発達で、田舎が不便だと実感する場面はほとんどなくなったと思います。ゆったりとした自然と、心地よいコミュニティーがもたらす安心感は田舎ならではのものです。移住というのは誰にとっても冒険です。自分が冒険の主人公になれることに気がつくと、わくわくするストーリーが始まるのを止められなくなると思いますよ。